穏やかな人になりたい
パヒュームのセラミックガールという曲の歌詞に
「柔らかできれいな言葉たち並べて
穏やかで優しい人になれるわ」
というフレーズがあるんですが、年々それを実感してきています。
20代を境に、色んな事が変わりました。
まず、声の大きい人に魅力を感じなくなった。という事。
声の大きい人というのは、影響力があったり、自分から物事を過度に発信していたり、自分を大きく見せようとする人の事。
昔はそういう人がやっぱり実力を持っていると思っていたし、目立つ分すごい!憧れる!私もああなりたいな〜〜と思う気持ちもありました。
けれど、ほんとに綺麗な人とか、実力のある人って、過度に自分を大きく見せようとしていない。過不足なくって感じで、そこに哲学と矛盾を感じます。
最近は目立って超絶センスのいい有名人とかではなく
世捨て人のような軽い雰囲気の人や、日々の慎ましい暮らしの中に喜びを見出している人たちの方に魅力を感じている事に気がつきました。
もう、心が年々落ち着いてきてます。
愚痴もいいけど、答えのないマイナスの発言を他人にぶつけるのでは無く、嫌な事があってもさざ波のような平穏な日々を過ごした方が綺麗な生き方だな、と思えてきました。
何故そんな事を思ったかというと、知人が出口の無い愚痴をこちらに投げかけてきて、私が対策を練ると、
「そんなこと出来ない、あなたには理解出来ない」といい、SNSをブロックしてきたため、
あぁ、巻き込まれた。
そして、むこうも若いな。
と思えたからです。
問題にするかは自分次第、爆発物として扱うも、それを受け流すも自分の裁量によるのです。
最近面倒くさがりになってきたので、もう問題事はごめん。1.2年前まで私も人に愚痴をこぼしていたのになぁ。その時付き合ってくれた友人に今からでもお礼しなきゃ。
その為にも天気の話だけでも笑えるような、明るくて引き出しのたくさんある人になっていきたいな。
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